「オオカミの棲む北海道を夢見る人」

KACO おすすめ動画・第一弾

BS11 ウィークリーニュースONZE 2015年10月11日特集
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北海道東部の標茶町に「オオカミの森」があります。 桑原康生さんは、ここで、日本では100年前に 絶滅してしまったはずのオオカミと一緒に暮らしています。

※オオカミの森 HowlinK’s Nature School(現在は閉鎖)

Kazuko Fukuda ( 2021.4.4 FaceBookより投稿)

オオカミの森を見てみたくなった。

今日は午前中は、「ととのえる」自然エネルギーの講座夕方から、千島学説をひも解く「食と命」の講座と、学生になった気分で充実した一日となった。

そして、オオカミに逢いたくなった。

明治政府は日本オオカミを毒殺して全滅させた。何の為に?!
日本オオカミ(大神)は日本人そのものなのかもしれないと思った。大神は悪魔とされ抹殺された。

150年以上が過ぎて私たちはどのようになったのかを見ればその真実も解き明かされるだろう。オオカミがいなくなり、鹿が増え続け、木々を食べつくし、森が消える。

土砂災害が起こり、川に流入、流れの蛇行が消え・・・
アメリカイエローストーンでたった8頭のオオカミが森を再生した話を聞いた
たった八頭の狼(大神)を森に放っただけで、数年後には数千頭となり、鹿が減り、木々が再生し、ビーバーが巣を作り、川に蛇行が戻る。
全てが元の循環に戻る夢のような実際に起こったこと。

オオカミ(大神)に逢いたい。
明治から日本は日本で無くなっていたことに気が付くべきだ。

古代の縄文人は完璧な宇宙の恵みの中で生きて、私たちに命をつなげてくれたのではないだろうか。
ムー族まで記憶をたどってみたい。人類の進化とはなんだろう。

進化でなく、搾取と支配される歴史。
地球を傷つけ、どこまで耐えてくれるだろうか。

完璧な宇宙のしくみの中に生命は存在しているのだったらそのまま受け取ったらいいじゃないか。
それに多くの人が気が付けば、自然のトーラス循環の地球に戻れると信じたい。

KACO後記

森の生き物の頂点に君臨すると伝えられてきたオオカミ。昔から神の様に畏敬の念で護られ、そして人も生態系の一部として組み込まれていたに違いない。この世の生き物で不必要な排除されるべき命はないのだろう。身近な畑でもその自然の仕組みを感じることが多くあります。

先日は小さなキャベツを収穫したら、その中に小さな青虫くん一匹、青い粒粒がたくさん。これはフンだろう。ちょっと嫌だなと思う。だけどメンバーのあやちゃん曰く「キャベツが美味しいから沢山食べたんだね」

かこ「食べたのは外側だけで中は食べていないみたい」人が捨てる外側の青い葉を一枚分だけ一生懸命食べて、人が食べる美味しい所はちゃんと残している。そればかりか、その青虫くん、中まで侵入する虫を外側で見張って食べてくれるという噂がある?!(畑に来るまでは青虫を台所で発見したらギャーと叫んでいた)

そら豆についたアブラムシを見たときも卒倒しそうになった。でもここの畑の人たちはそのまま見守るだけ。すると全ての株にてんとう虫と幼虫までもが現れ、あやちゃんのご主人は絵の具の筆でコショコショと空豆の芽を痛めないように、アブラムシを払ってくれました。

アブラムシの寿命は半月位で、いつの間にか空豆が空に向かってきゅんと立っていた。それも鳥に見つからないように足元に。重みで空豆が降りて来ると収穫となる。私たちは作物や虫たち、そこに生きる人たちから多くを学ぶ。みんな役割があり、微生物から虫、動物まで全て繋がってトーラスを描いている実感がわいてくる。

採れたものを皆で分けていただく。縄文時代までは。しかし農が業となってからは、手掛けたものは全て、大きく美味しく食べたいという欲求が出て来る。自然が資本主義に取り込まれ商品となった。そのために手段を選ばず、虫を害虫として、害虫駆除や除草剤、化学肥料や石油資材を使う。あるものを使うのは人間社会では進化ともいえるが、自然を丸ごと探りたい気もしている。

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